市橋達也容疑者が大阪で逮捕された。これを受けて、岐阜・羽島市で容疑者の両親の記者会見が開かれた。
これ以上逃げても結局は、リンゼイさん家族、私たちにとっても苦しいだけなんですよ。苦しみが増えるばかり。それが和らぐことなのですから、ホッとしました…
父が心境を語る。申し訳ない気持ちが、感情的にならず淡々と語る言葉の端々や雰囲気に現れていた。誰にでも出来るものではない。
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それでも表現の自由と主張するのか???
放送倫理・番組向上機構の青少年委員会は、2000年にも、テレビのバラエティー番組の暴力や性描写が民放連の基準に抵触する、と言う見解を示していたが、バラエティー番組で放映されている「罰ゲーム」等の暴力表現について、青少年の人間観、価値観を形成する上で看過できない、時を追うごとに過激化する傾向もある、見解が繰り返し無視されればメディアの自浄作用を疑わせる結果を生む、と物申した。
確かに、罰ゲーム等の暴力描写を見ていると、痛めつける側(勝ち組)と痛めつけられる側(負け組み)が殆ど同じ顔ぶれ。そして暴力がリアルに展開され、描写される。強者が弱者をいたぶる姿を見ていてうんざりする。こんな番組しか作れない製作者・出演者の発想の貧困さに呆れる。また、こんな番組のスポンサーになる企業の社会的な意識の乏しさに愕然とする。
幸い日本の視聴者はアホぞろいで、こうしたテレビ製作者達の暴走・逸脱行為に問題意識を持たない。そればかりか歓迎する奴もいる。こう言った土壌がテレビ製作者達を思い上がらせている。
(中部日本放送が制作したTBS系の)ドラマの『キッズ・ウォー』のオヤジ狩りのシーンを見て、自分にもできると思った。
オヤジ狩りに失敗し、大阪府警に逮捕された16歳無職の少年たちは、こんな風に証言をした。
過激化する放送内容が、犯罪を助長している事を示す典型例である。
このドラマは、中部日本放送に言わせると、主人公の少女がいじめに立ち向かうストーリーで暴力を助長するものではありません、との事だ。しかし、視聴者からは、暴力シーンが多く低俗番組、との批判が絶えなかった。このドラマを見た視聴者全てが、暴力シーンに影響されて粗暴犯と化すとは思わない。しかし、いじめに立ち向かうストーリーであると認識する人が全てだとも思わない。
ただ、少なくとも放送局の意図は、過激な暴力と言う演出によって打ち消されてしまうことがある。視覚に訴える暴力シーンは、具体的に訴えるが故に物凄くインパクトが大きい。そして、伝えたい内容が、暴力なのか、いじめ克服なのか、視聴者を混乱させる。放送局がこうした事実を知らない訳がない。
表現の自由と言うものがあるのであろうが、自由は一定のルールの上に成り立っている。数字を取る為に何でもありと言うのは表現の自由ではなく無秩序と言うもんだ。
山口県の徳山高専生が殺害された事件で、殺人容疑で全国に指名手配されていた同校の男子学生の遺体が発見された。事件発生直後から容疑者の行方が分からなかったが、如何やら犯行直後に自殺をしていたようだ。
今日の週刊新潮で、この未成年者の容疑者の実名・顔写真入りの記事(徳山高専殺人「19歳容疑者」の隠された「実名と顔写真」)を掲載したらしい。未成年者であれど、大きな犯罪をしたのであれば、実名・顔写真入りの報道は仕方がない。そんな点では賛成だが、どうにもこうにも、新潮社の「世間を騒がせた重大ニュース」と言う判断には胡散臭さを感じてしまう。世間を騒がせた重大ニュースと尤もらしい理由を言っているが、他にも重大ニュースはゴロゴロしている。しかし、そうした事件の全てを同様手法で記事にしたかと言うとそうではない。過去に数例しかない。今回の事件が、そんなに類稀で珍しくて重大な事件かと言うとそんな訳でもない。同級生が同級生を殺したと言うよくあるものだ。…と言うのに、如何してこの事件だけをこうした形で取り上げたのだろうか。
単に売り上げを伸ばす為のものでは…、そんな疑いが強い。取って付けた形がけの正義感に基づいて、国民の興味をそそる事件の報道しているだけなのでは???。マスコミに正義感を持たせると、正義感の名の下にやりたい放題することがしばしばある。ご用心!!!、ご用心!!!
…なんて言っていたら、日本テレビも容疑者の実名と顔写真報道をしてしまったよ。おいおい、自局の人気男性アナウンサーが女子高生のスカートの中を隠し撮りした事件の時は知らん振りをしていたあの身内に甘い放送局だよ。身内以外には厳しいんだ。視聴率が落ちてくるとなりふりを構わないんだ。やっぱり、マスコミに正義感を持たせると、正義感の名の下にやりたい放題する。ご用心!!!、ご用心!!!
如何したもんだろう。社会を騒がす犯罪が起きると、TVをはじめとするメディアの過熱報道のエスカレートぶり。更にその奥に潜む行き過ぎた張り込み取材、路上駐車の横行等の集団的加熱取材(メディア・スクラム)の現実。毎度毎度、大きな社会的な関心事が起きると、このような問題が起こる。しかし、メディアは同じようなことを繰り返し、視聴率争いに優位に立つための禁じ手を連発する方向にある。若しかしたら、メディアが潜在的に持つ、他社に視聴率争いで負けてしまうのではないか、と言う不安が、メディアから経験から学ぶことの大切さを奪ってしまっているのかもしれない。その結果、同じ事を繰り返すメディアには、同じ過ちを繰り返さないでおこうとする気等毛頭ないように見える。
大きな社会的な関心事に国民・メディアが興味や好奇心を示すのは納得のいくことである。しかし、報道の使命と言うのは、そう言った興味や好奇心を満たすものではない。その辺りを見失ってしまっているのではないか。
知り合いの精神医学関係の先生が言っていた。社会を騒がす猟奇的な事件が起きると、メディアは必死になって自分達の筋書きを後押ししてくれる有名どころの有識者と呼ばれる人たちを探し、コメントをとり、流すのだと。でも、冷静に考えてみると、この時点でメディアによる視聴者の操作が行われてしまって、事実が偏り歪んでしまっている。
そんな報道に慣れ親しんでいる多くの国民は、そう言った報道なくしては満足出来ない状態に陥っている。ところで、社会を騒がす犯罪の報道って、そんなに細かくする必要があるのでしょうか。何のために必要なのでしょうか。
こんなことを問うと、国民の知る権利があるからと言う単純な方がいます。しかし、国民の知る権利と言うのは決して国民の好奇心を満たすものではないと言う事をお忘れなく。
随分月日が経ったものだ。ライブドアグループをめぐる証券取引法違反事件で、風説の流布・偽計取引・有価証券報告の虚偽記載の罪で起訴され東京拘置所に拘置中のライブドア前社長のホリエモンこと堀江貴文被告に、東京地裁は保釈を認める決定を下した。公判では起訴事実を全面的に否認すると予想され、裁判所が否認している被告の保釈を初公判前に認めるのは異例中の異例である。こうした背景には、公判前整理手続きの適用が先月末に決定し、検察側・弁護側の双方が、裁判での主張や争点を明らかにしたため、証拠隠滅や口裏合わせの恐れは少ないと東京地裁が判断したためでだろう。保証金3億円は小切手で全額納付し、東京地検が申し立てた準抗告を棄却したため、保釈される見通しとなった。
ホリエモンの取材のためにメディアは、東京拘置所の押しかけて、公道の両側にはメディア関係の車が停車、上空には旋回するヘリコプターで、周辺を騒々しい状態に変えている。国民の知る権利のためにこのような騒動を引き起こしているのでしょうか。
ホリエモンを持ち上げて一発当て、袋叩きにして一発当て、そしてまた一発当てようとするメディアの商魂逞しいなりふり構わぬ行為ににただただ呆れ、憤懣やるかたなさを覚える私です。報道と言う名の下でメディアは必要以上にライブドアを煽りました。しかし、煽った責任について、それを謝罪するメディアは殆どありません。都合の悪いことはとっとと忘れてしまうのでしょうか。
第4の権力と呼ばれるメディアですが、権力の行使には注意を払って頂きたいものです。一部で態度の悪さを快く思っていない人間がいますので、メディア各社はくれぐれも注意して下さい。
ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ「NEWS」のメンバーがテレビ局社員らと飲酒後、公園で暴れ警察に補導された。
この問題について、テレビ局側が他局のインタビューで、「大した事はない」とコメントをしたことに対して、国家公安委員長が、「こうした報道(機関)の規範意識はかなり問題がある。」と異例とも言える苦言を呈した。更に、同席した女性アナウンサーの謹慎1週間と言う措置に対しては、「甘いのではないか。もっと厳しい処遇があってもいい。未成年者飲酒禁止法もあり、警察も毅然と対応するよう注意喚起したい」と付け加えた。更に、今後、宮城県警にこのアナウンサーに対して事情聴取したかどうか等を問い合わせていくようである。こうした国家公安委員長の指摘を受け、女性アナウンサーは、無期謹慎と言う重い処分に変更されることとなった。
テレビ局側の「大した事はない」と言う発言は、女性アナウンサーを庇うための発言であったと思われるが、「未成年とアルコール問題」と言う問題に関してこのテレビ局の意識の低さを露呈させたことになってしまった。メディアに完璧さを求める気持ちは毛頭ないが、公共の電波に乗せる表現には、せめて社会規範と照らし合わせる、とか、社会に与える影響を考える、と言う姿勢が必要ではないだろうか。
スマトラ沖地震が起ってまもなくのアメリカでの出来事だったように思う。人気DJがラジオ番組の最中に、スマトラ沖地震の中国人の被害者を面白おかしく茶化した。リスナーに大うけしたが、この人気DJは即刻契約打ち切りを放送局から言い渡された。
このラジオ局は、デリケートな問題に鈍感であると世間に思われることを嫌ったのである。また、きな臭い噂が出てくることだけでも、ナーバスになるのである。デリケートな問題に鈍感と言うことは、この放送局の信用に関わる重要な問題なのである。立派な事を言っているくせに、口だけと思われることは致命傷なのである。また、こんな放送に金を出しているスポンサーも信用出来ない放送局に金を出していると言うことで信用が低下すると言う悲劇を生み出すのである。
そして、わが社はこの問題を重要視しており会社の方針に反するこのDJを即刻解雇した、とラジオ局は弁明会見を行った。
今、日本テレビで放映されている「女王の教室」に対して、不快感や社会への悪影響を心配し、打ち切りを望む声が出てきている。そして、番組を肯定する人との間でバトルが生じている。
日本では、メディアをはじめとしてこのような考え方(世間からデリケートな問題に対して意識が低いと烙印を押されることへの恐怖)が広がっていないので、バトルが起ってもメディア、スポンサーの反応は頗る鈍い(若しかしたら、番組スポンサーのHPに「女王の教室」に対する苦情を寄せれば、スポンサーが日本テレビに働きかけるかもね。ある程度書き込みが寄せられると、スポンサーは動くよなぁ!!!)。更には、このような考え方を示すと、ドラマと報道を混同している(ドラマと報道は別個のもの)、と反応を示す方まで出てくる始末。
確かに、ここはアメリカではないのでこうした考えが通じにくいのは無理もないのですが、知識程度は持っておいても邪魔にならないような…。