友人から、今度久しぶりにロールシャッハ・テストをとるんだけれど人格障害の鑑別のポイントを教えて、とメールが来た。私のところにSOSとは、泥舟にでも縋りたいと思うほど困っていたのだろう。そんな風に解釈して、ポイントを纏めたメールに、極秘資料を添付した。
私もそんなに利用する訳ではない。せいぜい年間60ケース程度。まぁ、経験年数と言うものもあるので、形的には慣れ親しんでいることになる。その割には、この検査って、何でこうなるの、理解を超えている、って思うことが多い。知識としては、色々あるのだが、理解や納得出来ないこと迄使って、自分の判断です、と言うのは一寸気が引ける。精神科医に、説明を求められて、答えられなかったら恰好悪いし。それなら、防衛機制とか、刺激の把握様式とか、理論の理解出来る部分での解釈で留めてしまえと思っている。
更に、追い風。以前は根拠となる考えも載せていたのだが、精神科医から解釈が長過ぎて所見を見ただけで気分が萎える、と言われ、以後は超あっさり。解釈時間も超短縮となり、ラッキー!!!。保険点数450点の割に物凄く時間が掛かっていたので、大助かり。因みに、手抜きをしている訳ではありませんので、あしからず。
ぽちゃ専、デブ専、ミケ専。これらは、その筋の人達が好む言葉で。半ば同類語。言葉を注意深く観察していると、これは太っている人を専門に好む人の事を指している事が何となく判って判ってくると思います。太っている人を選択的(専門的)に好む人達の事です。
ぽちゃ専=ぽっちゃり専門。デブ専=デブ専門。
それでは、ここで問題です。ミケ専、って何のことだか判りますか???。一寸想像力を働かせてみて下さい。ヒントは、原級-比較級-最上級です。最も太っている人達にぴったりの表現を考えて下さい。
答えは、体重が三桁の人専門の略です。誰がこんな風に名付けたのか、知りませんが上手に名付けています。特に、ミケ専なんて、雰囲気が伝わってきますし、インパクトが強いですよね。
因みに、反対語は、ガリ専と言いますが、こちらは今一つインパクトに欠ける気がします。如何なもんでしょうか???
シャワートイレなる便利なトイレが日本では普及している。しかし、ヨーロッパ等では、トイレと風呂とが一緒の事が多く、電源の問題があって余り普及してないんだとか。ただ一度外人さんがシャワートイレを体験すると虜になってしまうんだとか。確か、あの世界的スーパースターのマドンナも大ファンなんですよ。
さて、そんなシャワートイレを使う時、気になることがあります。それは洗浄の時の温水の強さ。みんなはどの位の強さで温水をお尻の穴に吹きかけているかって事。そんなもん使う人の勝手ぢゃないか、といわれそうだが、まさにその通り。でも、気になる。
私の観察では、十中八九と言えば大袈裟かもしれないが、強にしてお尻を洗う人が多いような。トイレでシャワートイレを見てみると、強になったままの事が多い。
強でお尻を洗うとお尻の穴の周りについたうんこがとれると言う人間心理が働いているのだろうか。しつこい汚れは、水圧をかけると剥がれやすいと生活の中で学んでいるし…
でも、忘れていけないことがある。水圧をかけると汚れは剥がれやすいけど、汚れが飛び散ってしまう。もしかしたら、強にしてお尻を洗うとうんこがお尻の穴の周りに飛び散ってしまうかも。これはちょっと想像するのが恐い。メーカーもその辺りは十分に研究をして抜かりないんでしょうが…。一抹の不安が残るのである。
そんな事を考える私は、中〜弱にしてお尻を洗う。時間をかけて洗えば、うんこはちゃんと剥がれてくれると信じている。何より飛び散ることがなさそうなところに安心感を覚えるのである。
知り合いから聞いた言葉、
遅咲きの狂い咲き(おそざきのくるいざき)。
一部で、浸透しているらしい。
遅咲きの狂い咲きとは、
男(女)遊びを覚えた時期が遅かった人が、
遅れを取り戻すかの如く
遊び狂う状態を指すらしい。
誰がこんな表現をしたのか、
知らないけれど、
上手に表現したものだ。
男(女)遊びを覚えた時期が遅いと言うのは、
一体全体、
何歳からなのだろうか。
結局、この言葉を使う人の判断に、
委ねられている。
生活の中で、内緒の話、オフレコ、秘密の話等、他言をしないと言う前提で話しをする話って結構多い。それは、他言する人がいるので、往々にしてみんなの知ることになってしまうのだ。こうしたケースでは、他言する際、親切丁寧に、○○さんが言っていた、と情報源まで明らかにしたり、話に尾鰭をつけて伝える。誠に性質が悪い。
大抵の場合、他言する人は決まっている。そして、周囲はあの人には話をするのはやめておこうなんて学習する。すると、そんな人のところには他言をしないと言う前提で話は届かなくなる。しかし、自分のところには情報が入らなくなった、と情報収集活動を始める。そして、懲りずにそんな人に他言をしないと言う前提で話をする人が出現する。そして、繰り返し。繰り返せば繰り返すほど信用を失っていくのに…。気がつかないのかなぁ。気がつかないことは、或る意味不幸なことなのに…
ふと、不用意な発言をする人の中に他言をしないと言う前提で話される話を他言してしまう人が多いことに気付いた。他言する行為と言うのは、その発言が原因で起こる問題を考えない行為であるのだ。内緒の話、オフレコ、秘密の話はどれも訳ありの話ばかり。公にしてしまうと少なからず問題が生じる。その辺のことを考えれば、他言は出来ないのに…。考えないのでしょうね。
不機嫌で、時折、てんかんやカタレプシー(蝋屈症)であるかの如く動かなくなる。古いパソコンなので、もう寿命なんだろうかとも思ったが、何か違う。時折、調子の良い日もある。若しかして、まだら痴呆状態???。なんてパソコンの状態像から勝手に診断名をつけて遊んでいたのだが…
原因が判明した。それは、ある高齢のスタッフの言動から。パソコンの待機電源がムダだからコンセントを抜いてあげる、と言って、立ち上げていたパソコンの電源をいきなり切ってしまったのだ。こう言う事だったんだ。強制終了。調子も悪くなるよな。
【処方】
Rp�)
如何なる理由があってもパソコンの電源を抜かないで下さい、と張り紙。
Rp�)
終了の手順が分からなければそのままにしておいて下さい、と張り紙。
Rp�)
分からない事があったら近くの人に聞いて下さい、と張り紙と口頭確認。
【効き目】
強制終了の激減。
【最近の様子】
パソコンの勉強と言い、そこらをクリックしまくって、設定を狂わせている。そして、ウィルスに感染したと騒いでいる。あんたがウィルスだ。気長に成長を待つしかないのだろう。
朝から雨に打たれ、瀕死の重傷を負い、その後、太陽の暖かい日差しを浴びました。夕方には跡形なく消えていました。
残雪はまだまだ残っているので明日また雪ダルマ作りにチャレンジしたいと思います。
新たな言論の場・ブログは、多くの国で高い人気を持続している。そんな中、『ブログは、限定的な政治的影響力を持ちつつあるが、政治家や報道機関からの情報に追従する場合も多い』と言う報告がなされた。
最近は、特定の話題をブログ検索をして読み比べることが多い。それぞれにブロッガーの特徴が現れていて、表現の仕方、目の付け所、発想等面白い。何度も覗きに行くお気に入りも幾つも出来た。本当に宝の山といった所です。
しかし、『今、最も話題のアノ事件』をブログ検索をして読んでみると、多くの瓜二つのブログに遭遇した。誰もが皆、ネタ元の記事の同一部分をそっくりそのまま引用するもんだから、非常に似たブログと化してしまったのだ。きっと、誰もが目を付ける所は同じなのでしょうね。
色々な人がブログをするので、色々なブログが存在して当然で、政治家や報道機関からの情報に追従するのもありだと思います。ブログは、言論の場ですから…
赤ずきんちゃんや羊飼いと狼(狼少年ケン)では、狼に人間が食べられてしまうと言うシーンが出てきますよね。これらは小さい時に読み聞かせてもらったグリム童話やイソップ童話の中に入っていたお話です。そして、話をワクワク、そして、狼って怖いなぁ、なんて思いながら聞いたものです。こんな形で、狼が人を襲う(食べてしまう)と言うイメージは、頭の中に刷り込まれていきました。
ご存知でしたか。狼が人を襲った事例は、世界でもたった一例しか報告されていないと言うことを。もっと、もっと狼が人を襲って食べていたように思ってはいませんでしたか。逆に、童話の中には、狼が人を襲って食べたと言うお話は多いんですね。思い当たるでしょ。いつの間にか、童話の中での話と事実が混ざって勘違いして、悪いイメージが出来上がってしまったんですね。
赤ずきんちゃんに気をつけて、狼はこんなことを言っていたかもしれませんね。
私、超ど近眼です。裸眼での視力検査では、ランドルト環でしたっけ???、あの環っかの一番上のでかいのが見えないばかりか、検査官がランドルフ環を持って近寄って来るんです。そして、その距離が1�位になってやっとこさ見えるのであります。
子供の頃は、2.0だったので、メガネに憧れていたのですが、いざメガネをかけるようになると、視力が、ドドド〜ん、と低下して、メガネのない生活に戻れなくなってしまったのでありました。あら、ら、ら、ら。
現在、裸眼視力は両目共に0.01位です。矯正視力は1.5です。普通のレンズだと、レンズが牛乳瓶の底位の分厚さになってしまうので、一寸高めの薄いレンズを使っています。ですから、眼が悪くない方が、私のメガネをかけると気分が悪くなります。密かに身体障害者の認定をしてもらえないか等と不謹慎なことも考えたりしますが、こんなレベルでは到底無理の様です。
さて、眼がこれ程までに悪いと、メガネをかけないと困ったことが二つ起ります。一つ目は、緩やかな傾斜が判らないこと。平坦なところとの区別がつきにくいので、ずっこけそうになります。そして、二つ目。恐ろしい位に正確に聴覚刺激の把握出来なくなるのです。音源の特定がしにくいので、聞き漏らすと言うか、聞く体制が取れないと言うか…。こんなことを言うと、一寸変、なんて思われるかもしれないのですが、眼が悪いとそんなもんなんです。至って普通のことなんです。
人間の場合、情報収集は、視覚と聴覚によるところが大きく、そんな中で視覚は更に大きなポジションを占めています。ですから、視覚情報が著しく少なくなると、聴覚に影響が及ぶのです。視覚と連携が悪くなるので、聴覚刺激を正確に把握出来なくなるのです。
そんな訳で、私はメガネがないと辛いのです。
朝起きて、パソコンをつける。そして、コメントのチェック。新着のコメントを拝見して、それに対する返事を書く。顔馴染さんなら、その人のblogから読み取った情報を思い出しながら、コメントする。気合を入れてカウンター・フレーズを考える。返事のコメントには気合を入れたものが多いので、それに返事が為されると非常に嬉しいのである。
そして、朝の回遊。顔馴染さんや遊びに来てくださった方の所に覗きに行く。コメントを入れていくこともあれば、そうでない時もある。
空き時間があれば、子どもが起きるまでの時間で朝のblogを考える。コメントを考えるのにエネルギーを使い過ぎてこの時間になると、もうお疲れモード。
夜、自宅に戻り、洗濯と食事を済ませ、コメントする。またまた気合を入れてカウンター・フレーズを考える。
子どもの入浴介助が終わって、やっとblogを書き始めるが、既にお疲れモード。なかなか、書けない。あくびが多い。こんな風にblogとの付き合っている。
最近は皆さんがコメントを入れてくれて下さるので、そちらがメインになりつつある。bloggerの意外な側面が知ることの出来るので、blogとは別に違った一面を見ることが出来て非常に嬉しい。
一旦、自分のところから放たれた表現は、受け手の解釈に委ねられる訳で、全く予期もしてない別物になってしまうことがあります。それは、本当に怖いことです。
以前、幼児虐待なるシリーズで、読んで下さった人から、コメントと言う形でフィードバックして頂いて、そうなんだ、って気付いたことがあります。自分には見えていないことだったので、本当に参考になりました。こうしたやりとりを通して成長していけば良いのかな、って私は理解しています。
勿論、blogでは、人間としての最低限のモラルは必要だと思います。特定個人を責めないとか、嘘をつかないとか。これらは、blogの中にだけ特別必要というより、人間として必要なものですね。また、最善の注意を払って良かれと思って公開した自分のblogで人が傷ついたのであれば、それで傷つく人がいるんだ、って認識するも大切だと思います。
話が長くなりますが、他者の書いたblogを大切に読む、って行為は、他者を大切にする、って行為に繋がると思います。だから、コメントとか大切な訳で、大切に扱ってあげると、その人がまた頑張ってblogを書こうと思って下さるのではないかと思う次第です。
【業務連絡】
少し、慣れ親しんだ方に対しては、手厳しいコメントをしてしまいます。それは、その人なら受け止めてくれるだろう、と言う私の幻想から、生じている逸脱行為なのかも知れません。この場を借りて、ゴメンネ。