発達障害 言語面での衝動性と嘘
言語面での衝動性が高いケースでは、刺激に過剰に反応し、その場の雰囲気でありもしない事を口走ってしまう事が多々ある。周囲の人は、その話は一寸変、と感じる。そして、突っ込みを入れると、ありもしない事にしがみ付き、どんどん話を繕おうとする。しかし、どんどん自分で自分の首を絞める結果となる。そんな四苦八苦している姿を眺めていると痛々しい。

言語面での衝動性が高いケースでは、刺激に過剰に反応し、その場の雰囲気でありもしない事を口走ってしまう事が多々ある。周囲の人は、その話は一寸変、と感じる。そして、突っ込みを入れると、ありもしない事にしがみ付き、どんどん話を繕おうとする。しかし、どんどん自分で自分の首を絞める結果となる。そんな四苦八苦している姿を眺めていると痛々しい。
唐突にベテランの臨床心理士がこんな事を話をしてきた。
スタッフのAさんが、インフルエンザの予防接種を受け、それが原因でインフルエンザに罹ったらしい。AさんってADDって見立てているけど、予防接種を受けインフルエンザに罹ったってことはADDって裏付けているよ。
何を根拠に突然こんな事を言うのか、と思ったので尋ねた。
何故、予防接種を受けインフルエンザに罹ったるとADDってなってしまうの???。Aさんのところは子どもが小さいので幼稚園とかで子どもがウイルスを貰って返って来て感染することだってある。皆が集まるところは感染し易いですよ。
インフルエンザって悪化すると脳炎になるから、脳に悪影響を及ぼすぢゃない。発達障害の人の脳ってデリケートだから反応したと思う。
冗談のつもりか、と思ったが、かなり真剣みたい。裏筋診断のつもりでいる。
今後、明確な幻覚妄想と思路障害を欠き、明確な契機なく思春期発症の社会不適応と言う経過で統合失調症と診断された人の診断が変るだろう。
インターネットは、発達障害に関する一般的な情報を得る手段としては素晴らしい。しかし、自己診断に使う場合は注意した方がいい。テクニカルターム(専門用語)を適切に把握出来ていない事が多く、臨床経験がないが故に生じる概念の捉え違いが多くある。また、場合によっては、テクニカルタームを自分に都合よく解釈してしまう時がある。その為、適切に自己診断出来ていないことが多い。
妊娠中から生後発達期(脳の発達期)に生じる微細な神経回路の形成障害が、将来の疾患発症の脆弱性基盤(発症し易さ)に関係するという「神経発達障害仮説」が注目を浴びている。そして、微細な神経回路の形成障害が、統合失調症、気分障害(そううつ病)、ADHD、強迫性障害等の脳機能障害の発症し易さとの関連していると言う考え方が徐々に広まっている。そして、こうした脳の機能障害では、周囲の不必要な雑音などが意識に上がらないようにシャットアウトするフィルター機能に障害が生じる症状が見られます。
発達障害と言う診断名での障害年金の受給は難しいと言うのが相場である。しかし、発達障害であるのに他の精神科疾患と診断されたお陰で現在障害年金を受給している人は少なくはない。
発達障害、としっかり診断されると年金受給が難しく、誤診されると受給出来る。これって何だか変ですよね。
麻生太郎総理大臣の舌禍事件が止まらない。初当選の時から、国民を下々の皆様、と呼ぶなど、空気が読めずに問題発言が群を抜いて多い人だった。総理になって慎重になるのかと思っていたが、止まらないばかりか、以前に増して増えている。どうやら言葉の意味や周囲の空気が分からない感じで、言いたい放題になっている。
乱用する輩が多く、リタリンが処方できなくなった。
困った。困った。困った。
あれは、効く人には物凄く効く素晴しい薬だった。
処方出来なくなった所為で調子を崩す人が続出した。
その後、リタリンに代わり、コンサータが登場。
あれはあれでアメリカでも好評の良薬。
しかし、日本では成人には用いる事が出来ない。
子供のみ処方が許されている薬。
子供の頃効いたので 成人になっても継続処方
なんてこともあるらしいが、
まぁ、成人期になって診断が下った人には縁のない話。
発達障害と言うのは、トラウマの塊のようだ。子どもの頃から、脳の機能の障害が原因で物事が円滑に行えない事が多く、自分だけ出来ない、と言うコンプレックスを抱きがち。そこに、しっかりしなさい、と親からの強烈な精神的な圧力が掛かる。どんどん自信喪失。親からの精神的な圧力は正しいものだと信じ、蓄積していく。更に、学校ではからかわれたり、虐められたり。こうやって、トラウマは作られ、PTSDの下地は完成していく。
或るADDの患者さんは入眠導入剤を処方されているが非常に寝つきが悪いので、自家処方と言う事で大量の飲酒をしている。その為、すっかりアルコール依存状態に陥ってしまっている。実は、ADDの患者さんの中には、眠れないから酒や禁止薬物を自家処方している人が多く、ADDとは診断されないでアルコール依存・薬物依存とだけ診断されてしまうことがある。
幸いこの患者さんの場合、主治医が気付きADDとアルコール依存の治療をした。薬物治療の効果は覿面であった。それ以後、酒を自家処方せずに過ごす事が出来ていた。
数年経った或る日、寝つきが悪い日が数日続いたので、主治医と相談して増薬してもらった。そんなことが数回続いた後、この患者さんは、薬を飲んだら直ぐに眠らないと気が済まなくなってしまい、どんどん薬が増えていった。昼夜を問わずふらつき、転倒し怪我が絶えない毎日であったが、それでも薬を欲しがるようになった。挙句に、夜間トイレに行く時に転倒し大きな怪我をするので、トイレに起きなくて済む様に薬を増やして欲しいと言い出すありさま。普通だったら、減らして、になるんでしょうが・・・。この時点で、薬物依存になっていたようだ。見当識にも問題が生じていたので、周囲は心配したが、本人は薬が増える事に至って満足そうだった。勿論、本人には薬物依存であると言う病識はなかった。また、主治医も巻き込まれてしまっていたようだった。
結局、適正の量に戻ったが、こうした依存症を併存するケースはよく見かける。もしかしたら、アルコール依存、薬物依存、と診断される患者さんの何割かが、実はADDなのかもしれない。
劇的な変化はないものの以前に比べれば改善しているが、一進一退を繰り返している患者さんがいる。カウンセリングの初期の段階から、もう一押しもう一踏ん張りすれば、ひきこもりのトンネルから抜けそうなのに、努力をしたくない、と言い続けている。努力をしても必ずしもその努力が報いられないのが嫌だ、と言う。そして、自分は何でも出来るので一発逆転出来るチャンスが回ってくるからそれを活かしたい。そんな風に主張する。
そうこうしている内に、2年が経過。未だチャンスは彼のところに回ってこない。それでも、チャンスを待ち続けている。
最近、傷つきたくない自分に気付いた。だから、自分は何でも出来る存在だと思いたいのかもしれない。振り返れたのは、大きな進歩だ。今後が楽しみだ。
発達障害は治らない、と言う言葉が独り歩きしている。これは完全な誤りである。厳密には、発達障害は治らないではなく、脳の機能障害は治らないと言う事である。発達障害は、機能障害ではなく適応障害である。そして、発達障害の治療において、治療とか、教育とか、支援とか、配慮とかが必要とされるのは適応状態を保つためにである。
余り知られてはいないが、発達障害と診断する際に、「その発達の問題によって社会的な適応が損なわれているもののみを障害とする」と言う除外項目がある。そもそも発達障害と言うのは、発達障害がベースにあって適応障害を起こしている場合にのみ診断されるものである。脳の機能に問題があっても、他の能力を用いて補う事が出来れば、発達障害と診断出来なくなってしまうのである。その辺りを知らないで、発達障害は治らない、と信じる当事者、その家族、専門家が多く、偏見に発展していることは嘆かわしい。
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成人期の発達障害と言うのは、比較的新しい分野です。例えば、ADHDのような障害の場合、加齢と共に症状が軽減し、良くなると信じられてきました。未だに多くの専門医ではない医者の多くがこの偽りの情報を信じています。しかし、そうではない事が分かってきました。症状が目立たなくなるだけで、障害が残存しているケースが多かったのです。
成人期になって発達障害と診断されるケースは、乳幼児検診で見落とされてしまったケースです。凡そ10%程度と考えられていますが、もしかしたらもっと多いのかもしれません(ADHDは20人に1人と言われている位ですから)。そして、症状と言うのは、多岐に亘ります。そして、幼少期から変らない症状もあれば、加齢と共に変化(消失・出現)する症状もあります。そして、年を経るに従ってベースにある発達障害特有の症状とは別に、性格特性や心気症などの併存障害が生じてきます。発達障害と言うのはこう言うものだと考えていただけるといいかもしれません。
尚、発達障害は、スペクトラム(連続体)と言われるものなので、どこを境に異常と正常との境界線を引くかは、診断する専門家に委ねられます。従って、非常に分かりにくいもので、知識も必要ですが、より臨床経験が必要になってくると思います。
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発達障害は脳の機能の障害なので、治る事はありません。しかし、他の能力で補う事は可能です。
軽度の発達障害の場合、こんな話を本人や家族にします。
ある日、ある発達障害者の家族が、こんな事を語りました。
実は、『親のための管理訓練』(PMT:Parents Manegement Training)を受ける内に、自分も不適応状態に陥って症状が問題化してないだけで発達障害だって気付きました。子どもと似たような症状があります。でも、考えてみれば、上手く出来ないことに直面して、試行錯誤して色々な工夫をして、それを身につけて行くと歳をとるに従って発達障害って楽になるものですね。自分自身、劣っている能力を他の能力で補って何とかしてきました。それで、随分楽になり、医療のお世話にならずに済んだと思います。
多くの軽度発達障害者に何か希望の持てそうな話でした。ただ、上手く出来ないことに直面した時、試行錯誤して自力で色々な工夫をするのは難しい場合もあります。そう言う時は、理解して関わってくれるサポーターに手伝ってもらうと良いかもしれません。
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全てのADHDやADDにはリタリンが効く、と信じている方は多い。しかし、それは間違い。実際、リタリンが効くケースとそうでないケースがある。場合によっては、リタリンを服用して調子が極めて悪くなるケースもある。従って、リタリンが効かないからと言って、ADHDやADDではないと言うことにはならない。
また、正確にリタリンの効き目をモニター出来ない人も多く、リタリンが効いているのに、効いていない、と自分の状態の変化に気付かずに報告する人が極めて多い。リタリンが効かなかった、と言う自己申告程あてにならないものはない。本人ではなく周囲の人たちに患者さんがリタリンを服用した前後の話を聞いた方が参考になる。
ADHDやADDの人の多くは、不適応を起こすと症状が問題化してくる。苦手なことや難しくて自分では対処出来ないと感じるような場面が、不適応を起こすきっかけになりやすい。
こうした場面に直面すると、今までに蓄積された過去の失敗が頭の中を過ぎり、こんな状況だけは避けなければならない、と言う気持ちが起こってくる。辛い事に、何とかしようと思えば思うほど脳が誤作動を起こしてしまうのがADHDやADDの特徴である。脳の誤作動が起こると、固まったり、行動が拡散してしまって、現在行っている作業が中断してしまう。すると、他の作業を取り組んでしまったり、興味・関心が向かなくなってしなくてはいけない事をず~っと放置したりするので、どんどん溜まってしまう。また、放置はしないが帳尻合わせの為に手抜き作業をしてしまう。そして、徐々にこの状態が周囲に知れ渡り、問題化してしまう。こんなことを繰り返している内に、自他の評価がどんどん悪くなって、失敗体験として蓄積されてしまう。
多くの場合、苦手なことや難しくて自分では対処出来ないと感じるような場面ではADHDやADDの人は、SOSを出せない人が多い。固まってしまってSOSを出す余裕がないと言う人もいる。また、苦手なことや難しくて対処出来ないなんて他者に言うとその時点で駄目な奴と思われてしまうのでSOSなんて出せないと言う人もいる。
苦手なことや難しくて自分では対処出来ないと感じるような場面では、思い切ってSOSを出し、人に頼む力が大切だと考えている。ADHDやADDの人にとって苦手なことや難しくて自分では対処出来ない事を克服すると言うやり方は、脳が誤作動を起こしやすいので、上手く行かないことが多い。思い切ってSOSを出して人に頼み、時間は掛かるけれどその人のやり方を模倣し自分に応用出来る様になればいい。
社会スキルの中に、思い切ってSOSを出し人に頼む力を加えよう。
『親のための管理訓練』(PMT:Parents Manegement Training)での私のセラピーでは、本人と家族を同席させてその場でのやり取りに対して、こんな風にすると…、なんて事はしていません。そんな風にやり取りを見ながら出来ると効果的で良いのですが、本人を揺らさないでセラピーをして下さい、と医局からの制約があるので、本人と家族を同席させる事はしていません。ですから、前回のセラピー以後に生じた問題を家族に記録して貰って来て、家族の側の問題を扱うようにしています。
報告を聞きながら、次からこうして…、それはこんな風に声かけして、この場合はこういう風に言い換えて、と具体的に指示を出し、それをノートに記録していってもらいます。洞察を求める事はしません。混乱を生じさせる可能性が高いように思います。そして、次回のセラピーで、指示通りしてみて如何だったのかを尋ね、フィードバックを行い、言動が変ることで相手の反応が変る、と言うことを知ってもらいます。実は、このフィードバックが重要なのだと思っています。
言葉で表現すると簡単そうに見えるでしょ。しかし…
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ADHDとADD 『親のための管理訓練』(PMT:Parents Manegement Training)について
更年期障害とPMS(月経前緊張症候群)によりホルモンバランスが不安定になると、大きく調子を崩すADHDやADDの女性がいる。イライラして周囲に対して攻撃的になるタイプ、鬱になってしまうタイプ等々症状は色々である。閉経前の女性であれば、生理前に調子が不安定になると言う傾向を周囲も本人も比較的掴み易い。その為、婦人科受診をして薬物を処方してもらう事で、症状を軽減させる事も可能である。しかし、閉経間際だと原因が分からずに婦人科受診を逸してしまう事が多い。薬物を処方してもらう事で症状が安定するのに機会を逸するのは勿体無い。
ADHDやADDと診断されている人で、更年期障害とPMSによりホルモンバランスが不安定になって調子を崩す女性がいたら、主治医と相談の上、婦人科受診をしてみるのがいい。ホルモンバランスを安定させる事で、復調する可能性は大いにある。
成人期にADHDやADDと診断される患者さんの家族の多くが、ADHDやADDについての知識を持ち合わせていない。いきなり診断されて何ぢゃこれ、って具合。時に、根性が腐っているから…、等と精神論で片付けてしまおうとする家族も多い。今までちょっと変わったところがあるけれど普通の子、って思っていただけに、診断されても否認する家族も多い。それに、診断を受け入れられず問題が何も起こらなかったの様に隠蔽したり、問題が起こらないように先回りして対処してしまう家族も多い。また、発達障害は家族内に多発する事から家族もADHDやADDである事も多く、共倒れしてしまうケースも少なくない。更に、子育てに失敗したと間違った知識を信じて自信喪失している家族も多い。
こうした現状があるし、ADHDやADDは20人に1人(症状が問題化するのはその内の5人に1人)と言う高率で存在するとされているのだが、発達障害を専門、と看板を上げていないところではなかなか家族への支援は行われないのが現状である。家族は患者さんと多くの時間を過ごす事が多く、主たるサポートを担う存在であるのに、軽視されている。私も実際に行って効果を上げているのだが、売り上げに繋がらないことをするな、とお偉方より嫌味を頂戴する事もしばしば。そんな訳で、ご家族にカルテを作って頂いて、費用を頂いて実施している。
家族支援では、PMT(Parents Manegement Training)を行う。直訳すれば、『親のための管理訓練』である。施行法に決まった形がある訳ではないので、専門家の経験や知識によって差異はある。しかし、3つ程の項目に分けられる。先ずは、家族にADHDやADDの知識を持って頂く事。続いて、治療法の意味と実際を知って頂く事。最後に、症状が問題化した時の対応の仕方を学んで頂く事。PMTを実施したからと言って、患者さんの症状が直ぐに改善される訳ではないが、家族が障害や症状に対しての見通しを持てるようになることで、ストレスが減ると言う効果がある。また、ADHDやADDに関する知識を正確にしかも短期間で効率的に習得出来ると言うメリットがあるように思う。
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ADHDとADD 『親のための管理訓練』(PMT:Parents Manegement Training)について
発達障害の人って、周囲の人の理解があるとないとでは全然社会適応が変ってくると言う事を今日初めて実感した。専門書なんか読んだだけではここまで実感出来ない。Aさんは話を聞いているようでいざ行動に移す段階になると言われたように出来ない。何度も何度も同じ説明を受けても同じ行動を繰り返しをする。あれぢゃぁ、Aさんが発達障害だって知らない人は、人をおちょくっているって誤解するだろうし、不快にさせてしまうだろうなぁ。生き難いよなぁ。
雑談の中でこんな感想を漏らしたのは、発達障害者に密に関ったことがないと言うベテランの精神保健福祉士さん。Aさんの間接的な支援をお願いしてまもなくの事だった。何かそんな感想を聞いただけで、今後障害を理解して関わってもらえるだろうと感じ、ホッとした私であった。そして、対応に困ったらどんな事でもいいので相談してください、サポートする側のサポート力を上げることがより良いサポートを提供する事になりますから…、なんて言ってしまった。
専門書では、なかなか生き難さのようなものは伝わらないので、実際に障害による生き難さを目の当たりにしてもらうことは意味があるように思う。欲を言うのであれば、ただ生き難さを目の当たりにするのではなく、発達障害に関する知識を持ち、どんな支援が必要なのか、考えられたら…。その為にも、サポートする側のサポート力を上げることが大切で、サポーターは関りに慣れない間は、関り慣れたサポーターに相談しながらサポートしていくと言うのが大切だ。
発達障害は、脳の機能障害であるので、脳が誤作動を起こし、多種多様の症状が現れ、問題が生じる。しかし、目に見えない障害であるため、障害者本人は問題が障害によるものだと分からない事が多い。しんどい、辛い、と何と無くそんな風に感じても、上手く表現出来ない事がある。そればかりか、精神科を受診しても、精神科医等の治療者にしんどくて辛い症状や気持ちがなかなか分かってもらえない事がある。症状について、こんな症状はありませんか、と聞かれても、部分的には当て嵌まるが、そこから先の症状について触れられる事はない。また、障害者本人が症状をぼんやりとしか把握出来ていない事が多いので、やっぱり聞かれた事以外、話は展開していかない。その為、診察の後、分かってもらえないと言う気持ちや伝えきれなかったりしっくりいかないと言う不全感が残る事も多いと聞く。
発達障害の診断や治療に慣れている専門家は、臨床経験を通して、障害者が抱く分かってもらえない気持ちや伝え切れない不全感に焦点を合わせるのが上手い。障害の先にある症状まで推測し、障害の訴えを整理出来るので、分かって貰えたと言う気持ちを芽生えさせ易い。簡単そうに聞こえるがなかなか難しい。知識だけ豊富な専門家ではそうはいかない。発達障害の診断や治療に慣れている専門家は、目に見えない障害の扱いを知っている。
精神科外来を経由して心理療法に繋がるADHDの患者さんのほとんどが、多動や不注意と言ったADHDの特徴を診察場面で訴えることはなかった。患者さん自身が問題と思っていない事が多く、初診時にスルーされてしまっていた。訴えは、不眠、抑鬱、過食や拒食、感情や衝動の制御不能感、パニック、自傷等でADHDの症状とは掛け離れている事が多いので無理もない。
初診時にADHDが除外され、他の障害だと確定診断されてしまい、ADHDの治療が為されないと、症状が改善しなかったり、反って悪化したりすることがある。ルールを強化したり、洞察を求め過ぎて失敗なんてケースをよく目の当たりにする。また、症状が治まらないので治まらせようとしてどんどん薬が増えたり、患者さんの訴えのままに薬が増え、失禁等の副作用で大変なんて事も。こんな具合に治療が難航し、難解な患者さんが作られてしまう。結局、ADHDの治療が為されると安定してしまうんだけど。
ADHDの症状は多岐にわたる。見極めるのは職人芸のようなもの。馴染んでいれば、ADHDの見極めは比較的たやすい。しかし、なかなかそこまで馴染んでいる治療者は少ないのが実情だ。治療者が整ってくるのはまだまだ先の事なんだろうね。
アメリカの疫学調査では、ADD(ADHD)は20人に1人程の割合で存在するとのことである。そして、その内の5人に1人が不適応状態に陥って症状が問題化するのだそうだ。ADDと言うのは、とてもポピュラーな障害である。
診断に関り出して、差別を助長する恐れがあって世に出ることないの診断基準等も含め知るようになっていった。そして、勤務先でADD傾向の強い職員の多さに気付く事になった。程度は様々であるが、診断基準を厳しくしても治療が必要な人はアメリカの疫学調査と同じ様な割合で存在する。
ADDの職員は職員で一生懸命働いている。しかし、ADDの症状から、周囲を巻き込む問題を起こす事は常時。まさかこの人がADD、なんて周囲に認識がないので、一緒に仕事をしたくない、と陰で文句が炸裂。徐々に距離をとる様になる。問題がいよいよ膨らんだ暁には、気まずい雰囲気が漂う。こう言った雰囲気を察知し、ADDの職員は更に不適応状態に陥り、症状もまた強くなってくる。まさに悪循環。ADDをはじめとする発達障害では、不適応状態であればある程症状が問題化する。
一緒にグループ運営をしている内の1人が、推定ADD。連絡無しで、遅刻・退室は毎回。事前に患者さん達と一緒に決めたプログラム内容も誰の了解もなく変更する。勤務終了間際の相談は、帰る時間なので他のスタッフにして、と断わる等など。スタッフ・患者さんを巻き込んでいる。大きなトラブルがいつ起こってもおかしくない時限爆弾のような状態。
周囲はもはや限界状態で、かなり不快感情が起こっている。本人にやんわり注意しても行動は改まることはなく、周囲に反感を向ける。迷惑を掛けていると言う認識はない。
そこで、周囲から相談があった時、推定ADDとして関ろうと提案した。症状が問題化しているので、行動を改めさすのではなく、周囲がより楽に関れるよう(腹を立てないで済むよう)にしていこうと、提案した。もしかしたら、周囲の反応に漠然と気付き、更に症状が問題化しているのでは…。
ADDなんだから周囲の配慮がいる人なんだ、と周囲が対応を変えた途端、周囲の不快な感情が終息に向った。問題行動は続くのだが、今までの問題行動がADDの症状だと理解すると、その人の起こす行動に見通しが持て、関わり易くなった。理解して関わることと言うのは、重要だと革めて認識した。
一般の社会では、問題行動が頻発する人に対して冷たい仕打ちが待っている事が多い。知らない内に嫌な事をしているので無理もない。しかし、こう言う仕打ちが更なる症状の悪化を招く。多くの人が、発達障害者が社会に多くいることを知り、正しい知識をもった上で、理解して発達障害者と関わってくれる人(サポーター)が増えてくれるといいなぁ、と思う。
ADHD(注意欠陥多動性障害)について話をしている時に気付いた事がある。
注意欠陥多動性障害の注意欠陥(不注意)症状を勘違いしている人が意外に多いのだ。専門家と称す人も、診断された人も、サポーターも、注意欠陥(不注意)をボーっとしている事だと勘違いしている人が多いのだ。
注意欠陥(不注意)は二つの症状をさしている。一つは、一つの事に集中し過ぎて周囲の状況の把握が出来なくなってしまうこと。もう一つは、被転動性の高さ。つまり、他の新しい刺激が入ってくるとそちらの刺激に容易に気をとられてしまうことである。
一般向けのADHDの解説本にもDSM-�のような診断基準が載せられていることが多いが、実際のところ素人には理解がしにくい。しかし、注意欠陥(不注意)を上記のような理解で捉えると、ADHDと言う障害がより理解し易くなるのではないかと思うのである。
過書字、聞きなれない症状かもしれない。私自身も今までにそんなにお目に掛かった機会はないので、仕方がないかもしれない。どんな症状かと言うと、物凄く長くて纏りのない文を書いてしまう症状。別に長い文を書こうと思っている訳ではないのだが、結果的にとてつもなく長い文になる。句点の存在を知らないのでは、と思う位、読点で文がどんどん繋がっていく。今書いている所にだけ着目するので文全体を把握しきれず纏まりを欠いてしまうのである。私が経験した最も長いもので、A4ノート2ページにわたって文が書かれていた。
当初はこうした過書字が診断に大きな影響を与える症状とは思っていなかった。単なる纏りのない文、程度の認識で、部分ばかりに着目してしまって文全体を意識して書いていないので文がどんどん拡散していってしまうんだろう程度の認識だった。しかし、文献を通して側頭葉に障害がある人に見られるのを知った。早速観察をしてみると、案の定、側頭葉型ADDの人に多く見られた。
側頭型ADDは他にも独特な症状があるので、こうした独特の症状さえ知っていれば診断は下し易いと思う。ただ、臨床像を見たことがない場合は、注意欠陥リストのチェックに加えて、過書字の有無をチェックと言う方法を使うと診断の手助けになるかもしれない。
鬱病だと思い込み、有名病院を渡り歩いていたAさんがADHDである事を見抜いたのは、私であった。生育歴や現病歴を丹念に聞き取り、念の為に心理検査を行って確信に至った。Aさんの主治医を除く十数人の精神科医からは、どう見ても鬱病なのにADHDなんて馬鹿げている、と非難を浴びた。
その後、Aさんの主治医からの依頼で心理療法を開始。もしかしてこんな事ありませんか、と聞くと、出てくる出てくるADHDの典型的なエピソード。恰好悪くて、片付け・家事・炊事の事が今まで言い出せなかったのだそうだ。その後もどんどん出てきたので、Aさんの主治医とADHDと言う診断が正しいと核心を持った。
そして、Aさんの主治医は、病名告知を行ない、リタリンの処方を開始した。1週間程度で効果は覿面に現れた。しかし、本人の自覚は全くなし。気の所為でしょう、とAさんは効果を認めなかった。直ぐには効果の自覚がないことを数例のケースを通して知っていたので、Aさんの主治医とリタリンの効果を喜んだ。1ヶ月位してやっと自覚が現れた。
リタリンを服用し、順調に半年が経過した頃、リタリン乱用が社会問題化し、制約が出来たので、昨年末にAさんの主治医はリタリンの処方の中止を告げた。リタリンなんかなくても平気、と強がっていたが、リタリンが中止となった1ヵ月後位から、ADHDの症状が復活。生活が乱れてとうとう診察にも顔を出せなくなってしまった。
外来の事務員さんは、Aさんの時間にルーズ病が再燃し診察やカウンセリングの予約を入れてもキャンセルの連続、どないなってんねん、とぼやいていた。リタリンが処方されなくなった影響なんですよ、コンサータって言うリタリンの代わりの薬が出るまで時間にルーズ病は多めにみてあげて、とお願いしておいた。ADHDにリタリンはとても効くたんだ、とその効き目に事務員さんは恐縮していた(因みに効かないケースもあります)。
いつになったら、コンサータが販売されるのやら。リタリンのお陰で生活が成り立っていたADHDの人も少なくなく、早期販売が望まれる。
治療を続ける事に耐えられなくなってしまうことが原因で、ADHDの治療が失敗してしまうケースと言うのは比較的多い。直ぐに効果が出ないから嫌、とか、面倒臭い、とかで、患者さんが治療を続ける事に耐えられなくなってくる。
治療が順調に進んでいる患者さんでさえも、世間一般の人は何もしないで済むのに何故自分だけが治療や脳の機能異常を補う対処法を続けなくてはいけないのか、幾ら脳の機能を補っても肝心の脳の機能は戻らない(ADHDは治らない)、なんて感じで、治療を中断して、そして、悪化してしまう事がある。治療前の悲惨な状態をコロッと忘れてしまったかのように。
ADHDの患者さんと関わり始めた頃、治療が順調に進んでいた多くの患者さんがドロップアウトしてまった。そして、調子を崩して戻ってきた。この頃は、ADHDの患者さんの治療の過程の中で治療を続ける事に耐えられなくなってくる時期が何度もある、と言う事に気付いていなかった。しかし、調子を崩して戻ってきた患者さんの話を聞いていると、先々の事を考えると治療を続ける事に耐えられなくなってしまう、と言ったことが多く語られた。
最近では、ドロップアウトを防ぐ為に、治療の過程の中で治療を続ける事に耐えられなくなってくる時期が何度も存在するので乗り切ることが必要です、と最初に伝える事にしている。そして、くどくしつこく時々確認するかのように伝える。また、患者さんが治療を続ける事に耐えられなくなりドロップアウトをしないように、ポジティブなフィードバックや労いの言葉を増やしている。それでも中にはドロップアウトしてしまう患者さんもいますが、こうする事で、ドロップアウトを防ぐ事が出来る場合もある。患者さんに治療を継続してもらう為の支援(ドロップアウトさせない支援)と言うのも重要だ。
2007年10月26日付でコンサータ錠(一般名:塩酸メチルフェニデート)18mg及び同錠27mgが、「小児期における注意欠陥/多動性障害(ADHD)」の効能・効果があると言うことで厚生労働省から承認されました。日本初のADHDの治療薬ですが、18歳未満限定です。現在、成人期のADHDに関しては、治験の最中だそうです。
適正使用を図るための流通管理の実施を徹底すると言う事になっており、購入、処方、調剤できるのはコンサータを購入、処方、調剤できるのは、「コンサータ登録医師リスト」及び、「コンサータ登録調剤責任者リスト」に医療機関と氏名が掲載されている施設に限定されます。リスト化することで、医師・医療機関・薬局ごとに適正使用がなされるか否かを検討していくのだそうです。
さて、コンサータは、リタリンよりも効き始め・切れ際の変化がスムーズ言うのが、患者本人や周辺の人からの専らの評判です。1日1回服用するだけでOKなので、面倒なので飲みたくない、薬を飲まされていると言う屈辱感等、患者さんの精神的な負担は減ると言う。ただ、リタリンが効いたからと言って、コンサータが効くとは限らない。その為、処方変更が起きると、調子を崩す患者さんが現れ、騒がしくなるかもしれない(勿論、リタリンが効かなくて、コンサータが効くと言う逆のケースも有りますが…)。
現在、全国的な傾向として、成人期のADHDのリタリンの使用が縮小されています。精神科医も、患者さんも頭を悩ましています。一部では、成人期のADHDを対象とした薬が出るまで、子どもの頃からリタリンが用いていて効き目があったケースには小児期と言う対象に縛りがあるけれど成人期のADHDの患者さんにも処方して挙げよう、と言う動きもあるようですが、さてどうなる事やら。
リタリンの適量処方をしている勤務先で、とうとうリタリンの処方の見直しが始まった。乱用がメディアで扱われ騒ぎになっている事や当局からの指導もあり、精神科医は、処方をより慎重行うようになった。これは全国的な動向でもあるようだ。
そんな訳で、効果が出て生活がし易くなったと言うADHDの患者さん達にとっては迷惑な話。診察場面では、困り果て精神科医に処方の継続を懇願している姿をよく見かける。また、一部の不届き者によるリタリンの乱用のお陰で迷惑を掛けられている、と言う不満の声も聞く。
こうした不満の声を反映して某製薬会社から持続型のメチルフェニデート(徐放剤)が出るそうだ。海外では、リタリンSR、メタデート、コンサータの商品名で呼ばれている薬である。効き目は商品によって異なるが、6〜8時間と言うものも有れば、10〜11時間と言うものもある。だが、効き目が不安定な薬も有る(リタリンSR、メタデート)、と言う声を聞く。何れにせよ、リタリンで得られた効き目が持続型のメチルフェニデートで得られるかは未知数なので、服用してみないと効果の程は判らない。患者さん毎に処方の調整が必要になってきそうだ。
先日、ADHDの患者さんとのセッションの中で、『お片付けセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法』と言うADHDとの付き合い方の本の事が話題に上った。 一つの話題を1ページ見開きで右側にイラスト・左側に文章で簡潔に纏めてあります非常に理解し易かった、とのことだった。そして、見せて下さった。
ちらりと見せてもらって、確かに取っ付き易そうな本であったので、ADHDの患者さんに貸して読んでもらうおうと思い、帰りに書店に寄った。残念ながらなかったので、『お片付けセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法』の著者である櫻井公子先生が書いている『どうして私、片付けられないの? ADHDハッピーマニュアル』と言う本を買った。まぁ、似たような内容だろうと言う安易な発想。
ADHDの患者さんたちと『どうして私、片付けられないの? ADHDハッピーマニュアル』を評価してみました。圧倒的に『お片付けセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法』の方が判り易いとのことでした。決め手はイラストでした。『どうして私、片付けられないの? ADHDハッピーマニュアル』の方は、文字が多いのでその分情報量は多いんですが、読むのは面倒臭かったりするみたいです。見ただけでゾッとした人も多くいました。
『どうして私、片付けられないの? ADHDハッピーマニュアル』を一気に読み上げてみました。多くのADHDを診ていらっしゃるだけあります。使えそうなアイデアが満載です。
へぇ〜、っと興味を引いたのは「物欲ボード」。こんなことで物欲が抑えられるのか、と疑いました。早速、患者さんに提案しましたが、案の定、失敗。している内に物欲が加速してしまった。まぁ、上手くいった人もいるので役立つ人には役立つのでしょうが…。こんな感じで、全てのアイデアを全てのADHDの人が使える訳ではなさそうで、多大な期待は要注意。多くのアイデアから自分に適した方法を探すことが要求されそうです。
運動する事が、ADHD(注意欠陥多動性障害)には効果的であると言う話を聞くことがある。また、研究発表の中でも、運動する事で細胞間の結び付きが強化され脳の働きが活発になる、と言うものがある。
そして、こうした情報を元に運動を用いた関わりをしているところもある。私も好んで用いる。どの程度、効果が現れるのか、私自身測定した事がないので判らない。しかし、症状が幾分改善しているようなケースには多く遭遇する。
経験からは、ADHDにはアウトドア系が良いと感じる。一般に運動と言うと、ルールや勝ち負けがあって、する前から上手・下手がはっきりしているものが多い。ADHDを抱えている人の中には協調運動障害等を併存障害として抱えている事が少なくなく運動音痴だったりする。それ故、する前から強い・弱いがはっきりしている事はしたくないと言う人間として当然の心理が働いてしまうのではないか。一方、多くのアウトドアは、する前から上手・下手がはっきりしているものがあるものの、適度な偶然性が結果に影響を与える分だけ楽しめる。そんなところがいいのかもしれない。
昨今の研究で、運動が認知能力に与える影響が認識され始めている。画像診断の進歩で目に見える形で影響が見えるようになってきた。また、脳内の生化学の研究の進歩も手伝っている。運動することで脳由来神経栄養因子(脳内活動を活性化させる物質)が生成されることが判ってきた。
運動が認知能力に与える影響は大きい。認知機能の改善が見込まれるのであれば、認知機能の障害とされるADHDの治療に何らかの光が差し込んで来そうだ。
軽度発達障害グループでトランプゲーム(大富豪)をしていた時の出来事。ゲームを進め易くするためのトランプの整理で悪戦苦闘している発達性協調運動障害を持つ利用者に、見るに見かねて新人さんがアドバイスをした。新人さんの想いは、こうすれば上手く行くよ、と言うものであった。しかし、利用者は一向に耳を貸さず自分のやり方で悪戦苦闘。更にもう一度、アドバイス。何の変化もない。
こんなやりとりを通して、新人さんの心の中では利用者がアドバイスを聞けなかった事に対して、「出来ることが出来ないなんて…」と思ったそうだ。そして、思えば思うほどイライラが募っていったそうだ。スタッフのレビュー(振り返り)の中で、その胸の内をこんな風に語った。
そして、私はこんな風に返した。
出来ないのは発達性協調運動障害によるものだよ。皆と同じように出来ないので苦しんでいるんだよ。信じられないかもしれないけれど、もうアドバイスの時点で、出来ない、どうしよう、ってパニックだったと思うよ。昔の失敗等を思い出してさ、心の傷が剥き出しになってしんどい想いをしていたのではにかな。心はここにあらず。だから、アドバイスを聞こうと思っても聞く余裕がなかったと思う。
次は如何言う対応するのが良いのか、一寸考えてみて。これ、課題。イライラの原因を相手の所為にするのは簡単だけど、自分の問題として考えてみよう。工夫は足りなくは無かったか???。誤った対応と言うのはあるけれど、これだけが正しいと言う対応って言うのはないと思う。考えてみて…
今回のイライラがあったからこそ、新人さんは発達性協調運動障害に巡り合えたのだと思う。知識だけでなく実践に結び付けて理解して欲しいと思っている。
新人さんの『出来ることが出来ないなんて…』と言う反応は、極当たり前の反応だと思う。出来て当然と言う固定観念があるから。でも、出来ない人がいる。そんな事実を知って貰って、配慮出来る人が一人でも増えると良い。
学習障害・注意欠陥多動性障害・自閉症スペクトラム等の人が、併存障害として苦しむことが多い発達性協調運動障害。正式な疾患名ではないですが、発達障害の一つの症状です。
発達障害言うのは、生まれながらの脳の機能障害を差します。そして、この発達性協調運動障害と言うのは、視覚刺激を頼りに運動を調整していく能力に問題を孕んでいる状態を指します。粗大運動、巧緻運動(緻密さが要求される運動)、組み合わせ運動に問題が生じます。全ての運動に問題が生じたり、特定の運動だけの問題が生じることもあります。
この症状があると、周囲に比べ明らかに運動能力が劣っていたり、不器用であったりするので、劣等感を抱き易い。更には、周囲からからかわれたり、仲間外れにされ易いので、プライドが傷ついて、周囲に対して被害感を抱くことも少なくありません。成人しても症状が強く残存しているケースでは不器用さや効率の悪さの為、就職しても直ぐに解雇されたり、心無い言葉で傷つき退職せざる得ない事もあります。
協調運動と言うのはそもそも目で見ながら運動調節していく事を指します。協調運動障害がある人達はこうした機能に問題があるのでしょう。視覚刺激を正確に把握出来ないので、上手くいかないのでしょう。それなら、正確に把握出来るように刺激の整理の仕方を考えれば…。
…と言う事で、協調運動障害がある人達の行動過程に視覚刺激を整理し易いように別の刺激に置き換える工程を加えて反復練習をしてもらいました。すると、今まで苦手だった事が一寸だけマシになったそうです。しかし、何で皆とは違うやり方をしなくてはいけないんだ、何で自分は反復練習をしなくてはいけないんだ、なんて同時に言われてしまいました。
因みに、このやり方は他の能力を代用すると言うやり方なので、その人にあったやり方があります。また、状況の分析をして刺激の整理の仕方を考えていくので、初場面で用いにくいです。
楽しめるか、楽しめないか、それは大きな問題である。
或る発達障害の人は何をやっても楽しめなかった。そして、こんな風に言い放っていた。
「だって、不器用さ故に上手く出来ない、物事を順番通りに出来ない、と言う問題を抱えているから。どうせ自分は皆と同じように目で見てそれを上手く真似出来ない。だから、練習なんてしても無駄。好きにやれば、若しかしたら出来るかもしれない。何で、自分だけが練習をしなくてはいけないのか。障害者だけが如何してこんな風にしなければいけないのか」
如何言う経過を辿ったのか、魚釣りをしてみたい、と言う話になった。いきなり、「TVの釣り番組でやっているような大物が釣りたい。TVでやっている位だからあれ位誰にでも釣れるんでしょ」と言う。「物事には順番があるので、あれをいきなり狙うと、挫折するだけですよ」と返す。「誰にでも釣れるけど、自分は障害者だから挫折するって言いたいんですね」と返って来た。「そんなもん、私もよう釣らん。釣れない」と返しても、「偶然釣れなかっただけでしょ」なんて言われる始末。必死に説明して納得してもらった。
こんなやりとりを境に、この先魚釣りをして楽しめるようにする、と言う目標を立てた。そして、立てた途端に一人で釣りに行って目的地にすら辿り着けないでオロオロしてしまった。そして、「やっぱり、自分は釣りも真っ当に出来なかった」と落ち込んだ。私は、「そんなもん、当然。計画とタイミングがあるんだから、それを無視すると上手く行かないんだから。」と返したのを覚えている。
基礎と称して、糸結びの練習。最初から釣り糸を使うと失敗するのは見え見えだったので、太い独楽紐を使った。上手く結べた。そして、綴じ紐・凧紐と言う具合に移していった。自信が持てた。すると、意欲が高まった所で釣り糸に。思った通り、そうは簡単に結べない。しかし、これまでは出来た、と言う自信は大きかった。投げ出さずに取り組み、自分なりの工夫をして結べるようになった。自力で出来ると楽しいと思えたようで、その後も身に付けたスキルを忘れまいと練習に練習をした。勿論上達。魚釣りにはこんな楽しみがあるんだ、と言うことを知ったそうだ。
ただ、一つ覚えただけではダメなので、その後、工夫をしながらスキルを一つずつ覚えて行った。工夫する事で補える事が増えた。「何で、自分だけが練習をしなくてはいけないのか。障害者だけが如何してこんな風にしなければいけないのか」と言う思いはやはり心のどこかに残っているんだろうけど、「皆と同じ遣り方をしなければ楽しめない訳ではない。楽しみ方は人それぞれで良いんだ」と考えられるようになった。
その後、釣堀に付き添った。最初はさっぱり。浮木が引いても合せられない。やっぱりだめと感じたようだ。私は見通しが持てていたので、「まぁまぁその内…。焦らない事だよ。大丈夫」と返していた。大きく浮木が水面に引き込まれた。釣り上げた。こんな事が何度も続いた。
「釣り上げる時の手応えが堪らない。これが、皆が釣りをして楽しいと思うことの一つなんですね」
印象的な言葉であった。する事、為す事、悉く失敗し、「楽しみなんかない。楽しめるものが無い」、と言い続けたのは、ン年程前までの事。今では釣りが趣味になっているようだ。
振り返ってみれば、計画とタイミングが巧くかみ合ったのだと思う。
ADHDの人は、注意転動性の障害があるんだから、話をしている途中にふと思ったことが話題として出てくることがあって当然ぢゃん、と思う。しかし、カウンセリングや精神療法の場面では、大体の時間と言うのが決まっているので、時間制限と言うものが存在する。従って、脱線し捲くってしまうと、言いたい事が半分位残ってしまうことがある。こんな時、ADHDの人の帰り道と言うのは、話が出来てすっとしたと言うものではなく、話が十分に出来なくって不全感が残った、なんて感じになってしまう。言いたい事が最後まで言えなかった、なんて言おうものなら、話を時間に収まるように纏めて、とか、脱線しないようにしたら良いぢゃないの、なんて言いそうな治療者はゴロゴロいる(意地悪で言っているのではなく、そうしないと他の人を看れなくなっちゃうから仕方が無い)。
私は思う。
話を纏められない問題より、刺激が入り過ぎて統制出来なくなってしまう問題が背景に潜んでいるんぢゃないかって。だから、話が思う存分出来るようにこっそり内緒で、ADHDの人とのカウンセリングや心理療法は他の人よりも時間を長く設定している。カウンセリングや心理療法に来る人たちはみんな気付いている。大切にされていると言う想いや存分には話を聞いて貰えると言う想いが出て来るのだと言う。こんなセッションを数回している内に話したいことが減ってくる。分かって貰えているから話さなくても大丈夫、もうこの話はしたから何度も言うことはないか、なんて思うのでしょうか。話の内容自体、落ち着いてくる。すると、時間を長く取っていても必要でなくなってくる人もが多く出てくる。勿論、それでも中には話し捲くる人もいますが…。
私は心理療法(訓練)の中でこんな事を行っている。項目だけ列挙してみる。
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ADHDに関する知識の共有。
フィードバックの訓練であることを患者さんとの間で確認する。
自分の認知の歪みや癖と言うのを明らかにした上で行う。
フィードバックの意味を教える。
ポジティブなフィードバックを行う。
フィードバックの効果を教える。
フィードバックの過程を教える。
エピソードを用いて相手が実感出来る様に具体的にフィードバック行う。
自力で出来る喜びを大切にする(かなり重要)。
フィードバックする項目は限定し、拡散させない。
フィードバックした項目は紙に纏め、ファイルしていく。
記憶ではなく、紙に記してある事を重視する。
正しくフィードバックされているか、確認を行う。
気付きや洞察を要求する関わりはしない。
偽りのフィードバックは行わない。
一定期間、一定のインターバルで継続してフィードバックを行う。
一回に時間をかける。
間隔は週に一回が良い。長くても二週に一回。
間隔が空き過ぎると、効果が薄れる。
複数の治療者がフィードバックの内容を共有し、行う。
主となる治療者以外はフィードバックの内容を紙に纏めない。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
人間の言葉は大きく分けると二通りに使い分けされている。他者とのコミュニケーションに用いる外言と言われているものと思考する時に頭の中で用いる内言と言うものである。内言はその性質上、決して声(音声)として発せられることの無いものである。
軽度発達障害(ADHD傾向を持っている方)の患者さんに心理検査を実施する際に、この内言のようなものによく遭遇する。これは私に限った遭遇ではなく、多くの臨床家によって確認されている。自閉症スペクトラムの患者さんを対象にした複数の検査を扱った論文の中で、実況中継のように頭の中で考えていることを検査場面で口にしていた、と言う記載を目にする。
当初、実況中継のように頭の中で考えていることを口にする、と言う言動が如何して起こるのか、と言うことに余り注意を払っていなかった。診断する際に意見を求められた時一つのサインとしてぐらいしか考えていなかった。
ひょんな事から何故なんだろうと強く感じるようになり、更に観察してみた。モノを組み立て作業の時よりも、言語を用いる作業の時によく出ている。その中でも、刺激量が多く、複雑な作業の時に多く現れている。若しや…
複数の患者さんに聞いてみた。すると…
(結果を出そう、ミスをしないように意気込む時)注意力が散漫になっている(なっているように感じる)ため自分に言い聞かせるように集中するためにやっている、との返答が多かった。やはり、思った通りであった。作業で実力が出し切れるように声に出して耳で聞き確認しながらしているようなのだ。
しかし、全てが全てこんな風ではないと思う。20年程前、当時統合失調症と診断されていた患者さんは内言を口にすると気持ちが良い、と言っていたし、PDDの患者さんは勝手に出ちゃって困る、って言うし…。必ずしも、集中するためにやっている訳ではない。ああああああ、よく分からないことが多い。
引き続き観察を継続。
薬物療法に出来ることと出来ないことがある。心理療法にも出来ることと出来ないことがある。両者は補い合っている。
薬物療法で出来ること
気持ちを落ち着かせること
衝動性を抑えること
攻撃性を抑えること
多動を抑えること
不快な気持ち・感覚を抑えること
心理療法(専門的な訓練・カウンセリング)で出来ること
障害を持ちながら生き方の工夫
適切な行動の理解
社会スキルの学習
気持ちの整理
問題の整理
行動のフィードバック
成功体験を増やし、自信をつける
如何に両者を組み合せるかが、重要なポイントになってきます。少しでも効果が実感出来ると、今後に良い影響が生じ易くなります。ただ、効果が出るのに時間を要す事が多く、それなりの辛抱が必要な事が多々あります。治療に携わるのは、薬物療法はお医者さん、心理療法は臨床心理士等の専門家が受け持つことになってしまうでしょうね。専門的な訓練・カウンセリングは時間を要すから、お医者さんにはそんな時間は割けない、よね!!!
一定の流れに沿って物事をしているとする。そんな時、ふと目に付いた刺激が気になって堪らなくなる。そして、流れを止めて気になった刺激に関心が向き、挙句にそれに手を出す。どんどん気になると、当初の流れに新しいものが加わっていく。その内、手に負えない程に拡散してしまう。気がつけば、中途半端な無秩序状態になっている。木を見て森を見ないと言うのはこう言う状態なのかもしれない。
或る人は、文章を作る時先ずは紙にペンで下書きをする。文章を足したり削ったりして満足の行く下書きを仕上げる。そして、下書きを見ながらパソコンで一気に文章を完成させようとする。しかし、いつも下書き通りに文章は仕上がらない。文章を作成している最中に気になった所で動作がストップし、新しい文章が付け加えられていくのだ。最終的には、下書きと全く異なった文章が作成される時もあると言う。刺激が入ってしまって、当初予定していた行動がすんなり完遂出来ないケースである。如何して,下書き通りに出来なかったの、と聞くと、如何しても気になって先に進めなくなってしまったからと言う。
また或る人は、重要な約束があってまさに出かけようとしているその時、約束とは無関係なモノの事が気になって仕方がなくなると言う。そして、気になって仕方がないモノを探している内に、約束の時間に遅れてしまう事が多いのだと言う。経験的に遅れることは分かっているが、それをしないと気が済まないのだそうだ。どうしても守らなければならない約束の時は、苦渋の選択で想いを振り切るのだそうだが、約束の場所に向かう途中は、その事で頭が一杯で注意力が散漫になるとの事である。
またまた或る人は、電車の席の隣に座っている人達の話が気になって仕方がない。時間がある時は下車しなければならない駅で降りないで、話が終わるまで話を聞き続けてしまうのだと言う。ここで話を聞くのを止めてしまったら後から後悔しそうで仕方がないのだと言う。
どれもこれも、分かっちゃいるけど止められない、衝動をコントロール出来ない、と言うものばかり。コントロール出来ると言う実感が持てると随分違うが、効果はなかなか出ない事もある。しかし、根気よく訓練してコントロール出来るようになる人もいない訳ぢゃない。
成人期のADHDの人は、苦手な事や細かい事や絶え間なく注意等を要求される場面では、様々な形でネガティブなフィードバックが生じる事が原因で、巧くやっていけない、と言うことを幼少期から学んでしまっている事が多い。
その為、このような場面では、先の見通しが極めて暗くなったり、コントロール不能、と認識する事が多く、特に緊張し過ぎて失敗を繰り返す事が多い感じである。
ADHD(注意欠陥多動性障害)は、児童期に限られた障害である(おとなになれば自然に治る)と考えられていたが、成人以後も症状が続くと言うことで判って来ました。欧米では、ADHD児の70〜80%以上が成人以降も症状が続くと言う調査報告があります。そして、adult ADHD(成人期のADHD)として、昨今注目が集っています。
『成人期のADHD―病理と治療』、この類の本でここまで記述してある本はないのでは???。
ADHDの理解を深めるために、注意困難・運動異常(多動・協調障害)・衝動性・無秩序・躾難さ・対人関係の変容・感情性の変容・ストレス耐性の低さ等について子どものADHDの症状に触れてから成人期のADHDの症状について触れています。成人期のADHDの診断を確定していく作業を行う中で子どもの頃の話を聴いていくのは必要不可欠です。ですから、ADHDがどの様に姿を変えていくのかと言う事が学べます。これは、成人期のADHDの治療経験が豊富な臨床家であれば、臨床の中で殆ど気づいているような事であろうと思います。ですから、ADHDに対する臨床家の感度を上げるために役に立つと思います。
また、資料としてウェンダー・ユタ評価尺度等が載っています。医者などは診断の根拠となる数値を欲しがるので、これはこれで役に立つような気がします。
ただ、確かにこれを参考にすると成人期のADHDに対しての感度が上がるのですが、知り合い、職場の同僚に対してここで知り得た知識を当てはめていくのは止めましょう。臨床領域の人に当てはまる人は比較的多いかもしれません。仮に我慢出来ずに当てはめたとしても、そのことを口にしない方が良いと思います。口にしてしまう人が多いんだよな。
臨床経験が乏しい方がこの本を読むと臨床場面でADHDに関しての感度が高くなるでしょう。経験豊富な方は今一度ADHDに関しての整理が出来ます。超お薦めです
ADHDを診断しようとする際、症状で捉えるより生活障害として捉える方が、専門家にも患者にも判り易い。K.Nadeau.(1990)がリストアップしたチェックリストは、生活障害として捉えていると言う意味では扱い易い。紹介してみたい。
ADHDのチェックリスト(K.Nadeau.)
尚、アメリカでは、こうした項目の多くに該当すると、ADHDを疑い精神科受診をする人が多いそうである。
高学歴。人の羨むような花形職業。逸脱行為。
診断はいつも人格障害。良くならないので、転医、転医、また転医。
精神科医から、地位のある方から裏ルートで治療の依頼を受けてしまって実は如何して良いのか分からない。治療の方向性を確立したいと相談があった。ロールシャッハとか、MMPIとかをしてもらえるとありがたいんだけど…、って言う依頼。その際、知能検査は高学歴だし、職業を考えると、IQはかなり高いはずだからいらない、と釘を刺された。しかし、自閉症スペクトラム臭さを感じたら、しても良いと言う約束だけは取り付けた。
FAB(前頭葉機能検査)を始め、いきなり、soft neurological signsに遭遇。もしやと思って、検査を進める。どんどん、発達障害臭さが強くなる。そして、知能検査。決定的だった。その後、時間をかけて生活エピソードの聴取。出てくる、出てくる。ほぼ確定。
精神科医に結果を伝える。主治医は、言われてみればそうだ、診断するまえから除外していた、職業・学歴では判断出来ないモノだ、と本音を語る。そして、後はよろしく、って、今後の関わりを任されることになった。
このようにバリバリと仕事をしているケースの場合、診断名の告知を躊躇ってしまう。逸脱行為はあるけれど、人並以上に社会生活を送っている。敢えて告知する必要があるのか。告知して受容出来れば今後関わり易いのは確かだが…。精神科医とともに迷う。私は、本人が望まなければする必要はないと思っている。人格障害と言う診断は窮屈そうだったし…、敢えて告知して新しい悩みを増やす必要はないと思っている。