明日以降のカウンセリング場面で参考になるかと思って、テレビ朝日の『人間関係力テスト』を見てしまいました。この手の番組が放映された後は、必ずと言って良いほど揺れる人が出るので、どんな内容なのか把握する為です。前回の『IQ』の時は、何てアホなのだ、ボケている、と言って、不安がる人が沢山いて、フォローが大変でした。今回は、人間関係力が弱過ぎる、って言って不安がって揺れそうな感じがします。
人間関係を研究しているお偉い先生が監修にあたっているのでしょうが、問題の作り方が強引なところが最初から最後まで気になりました。人間関係力とは程遠く、監修者と番組制作者の主観を予測するような問題が多く、呆気にとられました。
恰も科学って感じでやっているので、それを本当だと信じる人達も多いです。この類の番組を見終わって、自尊心がぐちゃぐちゃにされるので、見ないと言う人も増えてきました。それは良い傾向だなんて思います。
ただ、バラエティ番組としてはとても楽しめました。ゲーム感覚でやってると楽しいんですが、本気になっちゃうとね…。大変。
自分の要求が通らないことを不愉快に思い、転医をする、と啖呵を切る人がいる。色々な思惑があって啖呵を切るのだけれど、そんな人達の中に、環境が変われば自分の欲求が叶う、と信じている人がいる。ここでは医療スタッフが悪いから自分の要求を聞いて貰えない、と言った捉え方をする感じ、この医療機関の治療の枠組みから飛び出して(行動化//アクティング・アウト)しまおうするのだ。
行動化した時には、枠組みの中に戻す(アクティング・イン)のが大切なので、既存の枠組みでの治療継続の必要性を説くのだけれど、洞察が困難な場合は、枠組みの中に戻らない人もいる。そんな時は、気持ちが楽になるように自分自身で結論を出して下さい、と伝えるに留まる。
飛び出していく時には、思いつく限りの皮肉と怨み言を並べて、こんなところに二度と戻ってくるか、と言って飛び出すことが多い。ここで言われた事を真に受けると、売り言葉に買い言葉の世界に突入してしまう。こんな場合は、どんな事を言われようとも、ひたすら聞き流す。これに限る。
数日後、やっぱりここが良かった、要求が通らなかった、と言って、戻ってくる。そこで、今回の出来事を振り返る。しかし、更に数日後、自分の要求が通らないことを不愉快に思い、また、転医する、と言い出す。自分の要求を叶えてくれる所があると信じて。
こんな事を何度も繰り返しながら、環境を変えるより自分の考え方を変えた方が良いことに気付くと良いですね。
精神科疾患の病名告知、実際に難しい。精神科疾患には、偏見が多い。疾患にかかる事は、ある意味、人間として落ちこぼれてしまった、と言う感じに捉えられてしまう事だってある。誰も、精神科疾患です、と言われて、判りました、なんて人はいない。そんなことを言われようものなら、違う、と言って抵抗するのが人と言うものだ。病名告知と言うのは、その辺の問題をクリアしながら行われていくものだから、慎重に行われなければならない。従って、相手が現状を受け容れられるか、見極める力が必要となってくる。そこまでやっても、告知された本人が深く傷ついてしまうことがある。更に、病名告知を行っても、家族が動揺するケースも少なくない。だから、その辺まで視野に入れて行わなければならないから難しい。
私は、そんな風に考える。
人間のコミュニケーションは言語を媒介するので、相槌の特性を知っておくと日常生活に於いて損はしないと思います。いやいや、とっても便利。でも、よく便利な割に相槌を習う事なんてありません。みんなみんな経験的に使い分けていたりします。私もカウンセリング場面で使っています。そんな相槌に今回は焦点を当ててみますね。
【同意・共感の相槌】
はい。ええ。そうですね。本当ですね。そうでしたか。そうなんですか。まあ。なるほど。あら。ほう。へえ〜。私もそう思います。確かにそうですね。分かりますよ。仰る通りです。良かったですね。凄いですね。さすがですね。素晴しいですね。素敵ですね。感激しました。それは嬉しいですね。楽しかったでしょうね。大変でしたでしょう。ありがとうございます。恐れ入ります。それは難しいですね。慌てたでしょうね。さぞびっくりなさったでしょう。辛かったでしょうね。よく我慢なさいましたね。本当にその通りですね、等々。
おうむ返し(そのまま繰り返す)。
【促す相槌】…興味の深さを示す。
それから如何なさいましたか。
そこのところを教えて頂けませんか。
それで如何なったんですか。
それは知りませんでした。是非教えて下さい、等々。
【整理する相槌】
つまり、〇〇〇と言うことですね。
なるほど、〇〇〇の面もあるのですね。
ええ、〇〇〇と言う考え方もありますよね。
〇〇さんは△△△のことをおっしゃっているのですね。
例えば、〇〇〇の意味ですね、等々。
これから、紹介するのは、しない方が良いかなって相槌。感じ悪〜ってやつです。相手を不愉快にさせる事があります。
【好ましくない相槌】
はいはいはい。ふ〜ん。うんうん。うそぉ〜。ああそうですか。さあ〜。それが如何したのですか。さあねぇ、そんなこと判りませんよ。それはねえ〜。一寸待ってくださいよ。でもねえ、等々。
余談ですが、こうした相槌の使われ方で、相手の気持ちを推測する事もある程度可能になってきます。
精神科疾患を患った患者さんでなければ、10回以内のセッション(カウンセリング・面接)で治せないと、精神科医であろうと、臨床心理士であろうとウチ(治療機関)では、雇いません。
以前、そんな風に豪語する先生のお話を聞きに言った。話自体、オーソドックスな話で目新しいものはなかった。しかし、10回以内で治す、と言うのは、その言葉は、当時、精神科疾患の患者さんを中心にカウンセリングをしていた私にとって脅威であった。精神科疾患を患った患者さんとの場合、そんなに簡単に進みませんから…
最近、極普通に生活している人が患者さんとして来る事が増えた事もあって、10回以内で問題が解決する、と言うことが実感出来たような感じがします。確かに、10回以内で治るんですよね。早ければ、3回以内。1回で終了と言う人も。
結局、抱えている問題の複雑さが、違ったんですよね。
自分が抱えている疾患の治療経験がありますか、自分が抱えている疾患を治したことがありますか、と患者さんはなかなか聞いてこない。本当は聞きたい気持ちでウズウズしているだろうに…
こんなことを聞いたら失礼だ(これから先、顔を合わせにくい)と思っているかもしれない。もしかしたら、主治医が進めてくれたカウンセラー(臨床心理士)なんだから大丈夫だと信じているかもしれない。それとも、カウンセラーであれば治せるに違いないと期待しているかもしれない。まぁ、色んな思惑があって、聞きたいのになかなか、治療歴がありますか、と聞きにくいのでしょうね。
私的には、こう言った質問は、治療契約を結ぶ際に積極的にした方がいいと考えます。最初に聞いておかないと、後からは聞きにくいですし、どんどん聞くべきだ、と思います。大抵のカウンセラーは正直に答える、と思います。そして、自信がなかったら、主治医に返すでしょうし、専門機関を紹介するでしょう。若しも、何の理由もないのにカウンセラーが、治療経験を話さなかったり、お茶を濁したりするようであれば、そのカウンセラーからカウンセリングを受けるのは考え物です。そのような対応は、信頼関係を築くのに大きな支障を生み出します。
尚、ここで、勘違いしないで欲しいのは、治療経験の有無を聞くことは治療経験が乏しいカウンセラーは避けて通る、と言うことではないことです(必ずしも治療経験がなかったり、乏しかったりすることがマイナス要因になるとは限りません。カウンセラーがスーパーバイズを受けながらカウンセリングを進めていくことだってありますし…)。これは寧ろ、カウンセラーの誠実さを量る、と言うことなのです。
私も15人に1人位の割合で治療経験について聞かれ、実績についてお話をしたり、主として用いる技法の説明をしています。そして、その上で如何するかを決めて貰っています。今のところ、聞かれたことで関係が崩れた事は一切ありません。
精神科に勤務している職員が患者に対して暴力を振るおうものなら、メディアは、恰好のネタとして報道し、その職員を非難するであろう。逆に、患者が職員に暴力を振るった場合は如何だろうか。如何なる場合でも、報道しないし、その患者を非難しません。
暴力を振るう患者の中に、こう言った背景を認識した上で医療従事者に暴力を振るってくる患者がいる。そんなに多くはないけれど確かにいる。暴力を振るう理由は、思い通りにならないから。そんな理由で暴力を振るい、憂さを晴らそうとする。そして、「暴力を振るっても訳の判らない事を言えば、罪に問われない。逆に職員が暴力を振るえば首になる」と公言している。そう、確信犯。
実際に、殴られ怪我をする職員もいる。階段で突き落とされ大怪我を負った人もいる。こうした事態を目の当たりにして、少なからず、医療従事者の中には患者からの暴力に対して力で対抗出来ない現実に窮屈さを感じている人達がいる。特に確信犯的に暴力を振るう患者に対しては尚更である。そして、「患者の人権は尊重するのに、医療従事者の人権は保護されないのか。職員は暴力を無抵抗に受けなければならないのか」と文句を言っているのを耳にする。
知り合いが1年前にカウンセリング際中に患者に殴られた話を聞いた。怖くて固まってしまって、数発なぐられてしまったそうだ。その後、この件を勤務先(医療機関)に訴えても、技量が足りないので殴られた、と言うことで一蹴されてしまい、今も勤務先に不信感を募らせている。一方、その患者は、今も暴力を殴った事を武勇伝のように話し自慢しているそうだ。
確かに知り合いのカウンセリングの技量が足りないかもしれない。しかし、双方から事情聴取し、暴力を振るったことを謝罪させ、再度暴力を振るった場合の治療の限界を設定することを怠ったこの医療機関の対応の拙さが、この患者の行為を後押ししているように見えてならない。
随分前の話になりますが、カウンセリング最中に突然患者さんが、お腹を下された時の話です。
カウンセリングの時間が残り10分位の辺りで。突然立ち上がるなど不自然な動きがあった後、臭いが4畳の部屋にあっという間に広がって行きました。余りに強烈な臭いだったので、お腹を下しちゃってる、って反射的に思いました。こちらから、今日はこの辺で終わりにしましょう、と水を向けました。すると、まだ時間が残っているので時間までして下さい、と戻って来たんです。
後10分程度なら我慢が出来ると思ったのでしょうか。しかし、更に、臭いは強くなり、部屋に充満していきます。患者さんは何も起っていないかの如く話をされています。でも、これだけ臭いが強かったら、やばいと思って、臭いますがトイレは大丈夫ですか、と伝えました。すると、私は臭いません、と否認されました。
とうとうと言うか、やっぱりと言うか、その後まもなく立ち上がって、トイレ、と言ってトイレに直行。戻ってきた第一声は、急にお腹が痛くなったんです、でした。何となく気まずい雰囲気を共有しました。
問題を先送りするととんだツケを払わされる。そんなケースでした。トイレに行きたくなたら行きたいと申し出した方が良いですよね。
カウンセリングの場面で、お腹が痛くなるって辛いです。私も今までに数回ありました。予約が一杯入っているので中断して予約時間を遅らせる事が難しく、ひたすら我慢して休憩時間にトイレに直行していました。生きた心地がしません。常日頃患者さんには、我慢しないで申し出て下さい、と言っているんですが、そんなことを言っている本人は、我慢をしています。
謝礼金の意味って、色々あると思う。よくして貰ったことに関する御礼、藁をもすがりたいと言う気持ちの表れ、みんなが払っているから、そして、便宜を図って欲しいと言うもの等々。どんな意味か判らないで、貰ってしまうと、関係が崩れた時に怖いことになる。
昔、私は、謝礼金の意味を考えずに沢山戴いていた。多い時で1回で10万円、破格の謝礼金もあった。無税の収入はありがたかったです。しかし、謝礼金の見返りを判る形で示せと要求されると困るので、ここ10年位は、医療費の中にサービス料が含まれているので頂けません、と断わっている。謝礼金を頂いて後悔するより謝礼金を断わって後悔する立場をとっているのだ。あの時、本当に断わっておいて良かったと思うことがしばしばある。
私の代わりに謝礼金を貰った人が、見返りを提供出来ずに、受け取った事をスタッフ・患者の前で暴露され、信頼を失うなんて惨劇もあった、あった、結構あった。
信じがたいと言う人がいるかもしれないがこんな患者さんがいる。多くはないが、症状が改善してしまうと都合が悪い患者さんが数人いる。どうも自分の話をきいてくれる相手が欲しいようで、診察やカウンセリングはうってつけのような感じでなのである。その為、症状が改善すると困るのである。カウンセリング場面では、出来る限り不幸を装い、何とかして欲しい、と乞うのだが、話がのらりくらりと逸れてしまう。軌道修正してもまた逸れる。そして、本題は終了時間が近づくまで本題は語らない。
終了時間になり、話を打ち切るが止まらない。話を遮り、次回の予約日の相談をする。とりあえず、一旦話は止まるが、またそこからパワーアップした不幸な話が続く。そして、退室せず居座るのである。
以前、終了後も居座るので、次の方がお待ちになっていますので…、と退室を促したところ、「これだけ困っていたら何とかするのが医療でしょう。一番困っているのは私です。ここで見捨てるんですか」と言われたことがある。もう必死に不幸を強調して時間延ばしをするので、私が退室していった。そうしたら、不幸はどこへやら、普通に退室していった。
彼等は、とっても不幸を強調して例外を要求するのだが、度が過ぎると最も恐れている見捨てられた状態になってしまうことを気付いた方が良いのかもしれない。
お医者さんは忙しいから、話を聞く時間が取れませんよね。時間を割きたいのだけれど、割いていたら診察がその日の内に終わらないかもしれない。それに、スタッフに給料を支払ったり家賃代を出すためには、沢山の患者さんを診察しなくてはいけないと言う現実的な問題もありますし…
ただ、こうした状況を申し訳なく思っているお医者さんは少なくなく、だから、臨床心理士にカウンセリングを依頼することがあります。病院なんかでは、お医者さんが形だけの診察をして、それから臨床心理士のカウンセリングをするところも最近増えていますね。そんな訳で、支払いは、お医者さんの診察代だけ。結構、お得にカウンセリングを受けることが出来ます。ただ、医療機関によっては、こうした形でカウンセリングをやっていないところもあるので、事前に確認が必要です。
ライフレビューとは、1963年にアメリカの精神科医のロバート・バトラーが提唱した概念です。
当時の考え方の主流は、高齢者が過去を思い出すのが多いのは、現在からの逃避だ、老化のはじまり、と言うものでしたが、ロバート・バトラーは、高齢者が過去を思い出す傾向が強くなることを、死が近づくと言う認識によって、自然に引き起こされる人間の正常な過程であると考えたのです。特に未解決な葛藤を意識し、振り返り、受け留め、過去と折り合いをつけることで、人生に統合感を得ることが出来る。そして、単に思い出すだけでなく、思い出しているその時の経験が重要な機能であり、人生の要約がなされ、死に対する準備が出来る、と考えました。これが、ライフレビューと言われている概念です。
ライフレビューは、無意識であろうと、意識的であろうと、死が近づいていることを察知すると即座に開始されます。但し、全ての高齢者が同じ様にライフレビューに成功する訳ではないようです。過去と折り合いのつかない人もいます。そんな時は、カウンセリング等を用いて、折り合いをつけたり、過去の未解決な問題を解決したり、過去に対する評価を変えたりすることもあります。勿論、茶飲仲間との雑談を通して、過去と折り合いをつけたりする人だっています。
高齢者が過去を思い出すのには、そんな意味合いが隠されているのです。
治療者と呼ばれる人の中には、クライエントと言う呼び方を好む人達がいます。どうやら相手を対等の立場に置くような感じがすると言う理由から、クライエントと呼ぶそうです。
専門書を、そんな拘りを持っている方がいらっしゃるのだ、と思って読んでいたのを覚えています。どうでも良いような拘りのように思えて仕方がない、と言うのが、率直な私の感想でした。
ところで、患者とか、クライエントとか、一体その語源って、患者は『苦しむ者』、そして、クライエント『依存する者』。余り良い意味ではありません。そして、どちらも相手を対等の立場に置くような感じがするようには思えない。それなのに、何故、クライエントと言う呼び方は相手を対等の立場に置くような感じがするのでしょうか???
治療者、依存者と言う関係に着目すると何か見えてきませんか???。一寸、考えてみて下さい!!!